白梅について
お茶屋時代の屋号は「大柳」といい、江戸末期の創業ですので新撰組が祇園を走っていた頃でございます。
明治に入りまして各界の方々にごひいきを頂き、大正時代、特に1階の「梅見の間」は歌人 吉井勇先生のお好みとなり頂戴したお軸が残っております。
昭和24年になりまして、先代の大女将 大村テツがお茶屋から料理旅館に転業し、大好きな古木にちなみ屋号も「白梅」といたしました。
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私共の玄関の橋は白川にかかる私有の橋の1つでここから見る春のしだれ桜はほんとうに美しく、夜にはライトアップもされ幻想的な風景となります。
夏はほたる、秋は萩、冬は雪、そして初春の梅と四季それぞれの風情を味わって頂けるかと存じます。
白川の源流は比叡山へ向かう山中越え、大文字の如意が嶽の渓水をたたえた清流です。
花崗岩の白砂をたくさん流すことから白川と呼ばれました。
昭和51年 祇園新橋は伝統的建造物群景観保存地区に指定され、その風雅なたたずまいを守りつづけています。